2012年4月24日

リーダーからのメッセージ(2)

陰陽ダービーで見事勝利!

その鳥取戦。前半はスネアを叩き、後半からはスタジアム内の様々な場所を見て回った。

そしてその中での圧巻は、メインスタンドからの手拍子。
後半開始早々、メインスタンドの端に座り、GATE10を眺めていた。チャントやファジアーノコールの時の手拍子の迫力は鳥肌が立つほど凄かった!

コールリーダーをやらせてもらっているんでなかなか機会がなかったんだけど、前々からメインスタンドでの手拍子の中に入ってみたいと思っていた。

俺たちGATE10では基本は「声」だと思っているけど、それとはまた違った迫力を肌で感じることができた。

言葉にすると安っぽくなるけど「凄い!」の一言。GATE10も負けられないねと思った(笑)

その後はメインスタンドを離れ、ゴール裏の旗部隊と一緒にバモり、さらにGATE10の中に紛れ込んで色んなとこでバモった(笑)

「あれ?」って顔をされていた方が多く居て「あっ、どうも」みたいな感じで応えてはバモるという、普段では絶対に無い行動。

また機会があれば、スタジアム全体の空気を感じたい。声や手拍子、歓声や溜息など、スタジアム全体がひとつになれる日はそう遠くないと思った。

「勝つ」ってことが大前提ではあるけど、時にそうじゃなくて、う~んなんだろ、その先にもっともっと大事なものがあるんだと思う。

「ココロヒトツニ」
これからも宜しくお願いします。

 

岡本透

 

2012年4月5日

3度目の正直

4月1日、徳島ヴォルティス戦。

試合開始直前の事。いつものようにサポーターがオーバー・ザ・レインボウを歌う瞬間、ゴール裏に緊張が走りました。ゆっくりと掲げられる大旗に続いて、大きな赤と青のうねりがスタンド上段から降りてくる。エンブレムが現れ、INSIEMEの文字が躍る。

アウェイ戦で、初めてビッグフラッグが展開された瞬間です。

岡山から一番近いアウェイで動員が見込めるという事、また、スタンドの構造上展開が可能である事などから、徳島には2010年からビッグフラッグを持ちこんでいました。その想いはただ一つ。「アウェイの地でビッグフラッグを!」

ビッグフラッグは2009年、ファジアーノを支援して下さる方々やサポーター有志のカンパで作成されました。管理はGATE10で行い、その運用を一任されています。毎回のホームゲームで広げられるこの巨大なフラッグは、数十人のメンバーで運搬を行い、展開し、撤収しています。メンバー以外のサポーターに協力をお願いすることもあり、チームワークが必要とされる大変な作業ですが、「自分たちには毎回の事でも、今日初めて試合を見に来るという人が必ずいる。そういう人たちの為に、ビッグフラッグはいつも展開したい」という考えから今日まで展開されてきました。そして、いつしかそれをアウェイでやりたい。そうすれば皆の心がより一つになれる、と。

2010年、ビッグフラッグは初めて瀬戸内海を渡りました。しかし、鳴門海峡から吹く強風に屈し止む無く展開を断念。リベンジに燃えた2011年は悪天候が予想されましたが、それでも現地まで運搬し、判断を待ちました。しかし、大雨の為にまたもや涙を飲みました。

3度目の正直で迎えた2012年。コールリーダーとビッグフラッグ隊長には「何があっても展開する」という固い決意がありました。しかし、相変わらずの強風に煽られ、展開の是非を決断する判断はギリギリまで待たれました。

「今年も多くのサポーターが協力してくれている。やるなら今しかない」

そして、ついにその時が訪れました。試合展開も攻撃がサポーターに向かう形になった後半、怒涛の攻めを見せ逆転勝利。サポーターの力が勝ちにつながった試合と言っていいと思います。

今回のビッグフラッグ展開には、メンバーのみならず多くのサポーターの皆さんの協力がありました。本当にありがとうございました。

J’s Goalのファジアーノ担当記者、尾原さんにも「J2日記」にて紹介していただきました。

2012年3月21日

CURVA ROSA(3)

初のアウェイ戦。
今と同じように皆で車に乗り込み敵地へと向かう。道中の実にくだらない話と、遥か遠くに見えているJリーグへの憧れ…。

TVを見ればJリーグ、セリエA、リーガエスパニョーラなど、一流の選手が華やかな試合をやっている。だが、それは画面の中の話。俺たちが求めいてるのはスタジアムという「現場」で「トモニタタカウ」という事。

今までとの大きな大きなギャップが、急加速をはじめる…。

高校の敷地内のグランドで試合をした時は、俺たちがバモってる(声出し応援している)前や後ろを人が通り、その度に挨拶をしてくれるのでこちらも挨拶を返す、という事態になった。実に礼儀正しい姿勢でありながら、心の中では(いま必死でバモってますから!)と、もどかしい思いがひしめき合う最強のアウェイ戦だった。

ゴール裏が民家で試合中に洗濯物を干している、なんて事もあった。とにかく、立派なスタジアムでは起こり得ない出来事を正面から受け止める強さをいつの間にか身につけていた(笑)

 

時を同じくして、足りないものだらけのなか、昼は働き、夜になれば薄暗く硬いグランドで練習をし、日曜日になれば岡山の誇りを背負い戦う彼ら(選手)に、自然と恋をしていった。コイツらと一緒にJに行きたい!当時のサポーターは、皆そう思っていたに違いない。

天皇杯県予選では三菱自動車水島FCと対戦した。真夏の昼間の試合だった。一つ上のカテゴリーで戦う三菱水島にはどうしても負けたくなかった!三菱水島のサポーターとは敵対関係とかではなく、今でも良き友であり、良きライバルであるが、この日ばかりは違った。

だが、結果は惨敗だった。
悔しさの中、会場を後にしたのを、今も忘れはしない。

時は流れ、暮れが近付く頃、チームは熊本で行われた地域リーグ決勝大会の予選ラウンドへと駒を進めた。対戦相手はロッソ熊本。今のロアッソ熊本である。大津を埋め尽くす多くの熊本サポーターは3,000人。こちらは10人程度…。サポーターとして声や横断幕、旗など何から何まで劣ってはいたが、気持ちで勝負!先制点は11番・石川哲平。藤井一昌からの低い弾道のクロスを合わせた1点だった!一進一退の攻防が続くも、最後には力負けの結果だったと思う。この熊本での敗戦が、俺たちサポーターに火をつけたに違いない。続くグルージャ盛岡戦。幸先よく先制するも1人退場での苦しい展開…。選手は本当によく戦ったと思うが、1-2での敗戦。そしてこの年が終った。

試合後、ピッチに座り込み、肩を落とす福森慎太郎の姿が印象的だった。

「もう1度、俺たちと一緒に戦おう!」
こうしてCURVA ROSA1年目のシーズンは終った。
だが、この瞬間から2年目に向けた戦いは始まっていた!

岡山に帰ると、翌週から地域決勝大会が桃スタ(現カンスタ)で行われていた。この頃はまだ、桃スタが完全なるホームでは無かった。と言うよりも、中国リーグ1年目では、岡山市内で公式戦をやった記憶が無い。俺たちの桃スタで、どこかの街の誰かのチームが試合をするという事に大きな違和感を感じつつも、自然と桃スタに集まり、「悔しさ」とか「憧れ」とか、様々な感情の中、遠目に試合を観戦していた…。

この時の悔しさを、2年目となる中国リーグへと生かさねばならない。
12月の冷たい風に吹かれながら、帰路についた…。