‘HISTORY’ カテゴリーのアーカイブ

2012年6月12日 火曜日

CURVA ROSA(4)

2006年を迎え、俺たちがやっていた草サッカーリーグ選抜チームVSファジアーノという、非公式のドリームマッチが開催された。今からしてみれば考えられない事だ。その日の為に炊き出しの準備に追われる日々(笑)

冬の風が吹き荒れる河川敷のグランドで、ひっそりと非公式マッチのキックオフの笛が鳴った。

結果は10-0の大完封負け!

当時、ファジアーノの存在を遠く上から見ていた人も居ただろうけど、これが実力の差だな。ドリブルで誰も寄せ付けない藤井一昌。ゴール前まで行き、自軍までドリブルで帰る福森慎太郎。「どうだい!これが俺のファジアーノだぜ!」と、心の中で言ってたっけ。試合が終わり、一昌の挨拶で非公式マッチは終った。その後、皆で豚汁を食べ、昨年の悔しい思いや、今期に繋がる話をした。皆が帰ったあと、音声ファイルの録音をノイズだらけの河川敷で行った。当初FORZAにUPされていたのがそうだ。

何かやらなけりゃ!何かやらなけりゃ!そんな思いで日々を過ごしていた。

2月に熊本で行われた西日本社会人大会で、初代ROSA断幕が披露された。思い立って発注から1週間で作成して貰い、業者の方にえらい迷惑を掛けた事は今でも忘れていない。それまでの手作り感満載のやっつけ横断幕と違い、特殊な素材で持ち運びもしやすく、色もセクシーマッドブラック(つや消し黒)に仕上げられた15MのROSA断幕。俺達はそれを熊本のKKウイング補助へと運び、誇らしげに拡げた。

数日後、イオン倉敷でビラ配りをさせて頂く話になり、不安と期待の中イオン倉敷の出入り口で当時のNPO、ファンクラブ会員の申込書のビラを配った。なにやら怪しい集団がビラを配っている様に見えただろう。殆どの人が首をかしげる中、真剣に話を聞いてくださる方も居られ、あっという間に終わりの時間が来た。成果があったかどうかは分からない。ただ言えることは、立ち止まっていては何も始まらないし変わらない。ファジアーノのサポーターをやると決めたいつからか、周囲に対する自覚が生まれ始めていた。

2006年開幕へ向け、俺たちだけじゃなくフロントが大きく変革を告げようとしていた。
それまで未知だったファジアーノという存在を、岡山の街が少しずつ知っていった。

2005年は岡山市内で公式戦を戦ったことが無かったが、2006年の開幕は桃スタ!今で言うカンスタ。その頃の様子は、たーぼさんのブログを見て貰えば分かると思う。今とは比ぶべくもないが、携わる全ての人がありったけの情熱を注いでいた。

初の桃スタ!

今で言えば当たり前となってしまっているが、夢だった桃スタ!何人来てくれるかは分からないが、桃スタって事だけで震えが止まらなかった。そう、あの日が無ければ今は無い。だからその瞬間を全力で生きる!今となんちゃ変わってない。朝、早くからフロント、ボランティアスタッフの方々、そしてサポーターで集まり、各々が準備へと取り掛かった。そして夢の時間へと刻は迫り、キックオフの笛が鳴らされた…。

2006年、ホーム開幕戦。レノファ山口に勝利し、次節セントラル中国戦(現デッツオーラ島根)へと弾みをつけた!同時に奉還町商店街でイベントを行って頂いた。今も昔もそう。スタートは奉還町商店街。

さあ行こう!
アウェイ島根に!

意気揚々と数台の車に別れて現場を目指すROSA一行。ところが横断幕を積んだ車輌が高速上でガス欠になり、キックオフぎりぎりまで横断幕が届かないという事件が発生。この時から、「あもった」という言葉が生まれた(笑)

選手はピッチで、俺たちはスタンドで戦ったセントラル中国戦。結果は大敗…。試合後、遠くを見つめながら熊本での敗戦が脳裏をよぎった。たとえどんな事があろうとも、俺たちは見捨てたり見放したりはしない。

ROSA段幕に書かれている文字の意味を深く胸に刻み込み、選手と共に戦う日は続いて行った。

2012年3月21日 水曜日

CURVA ROSA(3)

初のアウェイ戦。
今と同じように皆で車に乗り込み敵地へと向かう。道中の実にくだらない話と、遥か遠くに見えているJリーグへの憧れ…。

TVを見ればJリーグ、セリエA、リーガエスパニョーラなど、一流の選手が華やかな試合をやっている。だが、それは画面の中の話。俺たちが求めいてるのはスタジアムという「現場」で「トモニタタカウ」という事。

今までとの大きな大きなギャップが、急加速をはじめる…。

高校の敷地内のグランドで試合をした時は、俺たちがバモってる(声出し応援している)前や後ろを人が通り、その度に挨拶をしてくれるのでこちらも挨拶を返す、という事態になった。実に礼儀正しい姿勢でありながら、心の中では(いま必死でバモってますから!)と、もどかしい思いがひしめき合う最強のアウェイ戦だった。

ゴール裏が民家で試合中に洗濯物を干している、なんて事もあった。とにかく、立派なスタジアムでは起こり得ない出来事を正面から受け止める強さをいつの間にか身につけていた(笑)

 

時を同じくして、足りないものだらけのなか、昼は働き、夜になれば薄暗く硬いグランドで練習をし、日曜日になれば岡山の誇りを背負い戦う彼ら(選手)に、自然と恋をしていった。コイツらと一緒にJに行きたい!当時のサポーターは、皆そう思っていたに違いない。

天皇杯県予選では三菱自動車水島FCと対戦した。真夏の昼間の試合だった。一つ上のカテゴリーで戦う三菱水島にはどうしても負けたくなかった!三菱水島のサポーターとは敵対関係とかではなく、今でも良き友であり、良きライバルであるが、この日ばかりは違った。

だが、結果は惨敗だった。
悔しさの中、会場を後にしたのを、今も忘れはしない。

時は流れ、暮れが近付く頃、チームは熊本で行われた地域リーグ決勝大会の予選ラウンドへと駒を進めた。対戦相手はロッソ熊本。今のロアッソ熊本である。大津を埋め尽くす多くの熊本サポーターは3,000人。こちらは10人程度…。サポーターとして声や横断幕、旗など何から何まで劣ってはいたが、気持ちで勝負!先制点は11番・石川哲平。藤井一昌からの低い弾道のクロスを合わせた1点だった!一進一退の攻防が続くも、最後には力負けの結果だったと思う。この熊本での敗戦が、俺たちサポーターに火をつけたに違いない。続くグルージャ盛岡戦。幸先よく先制するも1人退場での苦しい展開…。選手は本当によく戦ったと思うが、1-2での敗戦。そしてこの年が終った。

試合後、ピッチに座り込み、肩を落とす福森慎太郎の姿が印象的だった。

「もう1度、俺たちと一緒に戦おう!」
こうしてCURVA ROSA1年目のシーズンは終った。
だが、この瞬間から2年目に向けた戦いは始まっていた!

岡山に帰ると、翌週から地域決勝大会が桃スタ(現カンスタ)で行われていた。この頃はまだ、桃スタが完全なるホームでは無かった。と言うよりも、中国リーグ1年目では、岡山市内で公式戦をやった記憶が無い。俺たちの桃スタで、どこかの街の誰かのチームが試合をするという事に大きな違和感を感じつつも、自然と桃スタに集まり、「悔しさ」とか「憧れ」とか、様々な感情の中、遠目に試合を観戦していた…。

この時の悔しさを、2年目となる中国リーグへと生かさねばならない。
12月の冷たい風に吹かれながら、帰路についた…。

2012年1月27日 金曜日

CURVA ROSA(2)

CURVA ROSA 2005

前回の記事でも触れた通り、CURVA ROSAはたった3人のメンバーで結成された。この3人は岡本がやっていた草サッカーチームのメンバーであったが、自主的に河川敷のトイレ掃除、ボランティア活動を行い、スポンサーを集うなど異色な活動をしていた。ファジアーノのサポーター活動を始める前から「岡山の街のサポーターに!」という思いが彼らの原動力になっていた。

2005年、ファジアーノvsグレミオの親善試合を観戦した岡本は仲間2人に声をかけ、CURVA ROSAとしての活動を開始した。中古のドラムを買い、かつて清掃活動をしていた河川敷へ向かい、真っ昼間に人目も気にせず大声でチャントを歌った。それが初参戦となる中国リーグへ向けての第一歩だった。

中国リーグ初参戦は福田公園陸上競技場。情報は事前にネットで調べていたが、そこには「バンディエラの中に集合だ!」とだけ書かれていた。CURVA ROSAの面々は期待と不安を抱え、現場へと足を運んだ。

そこで目にしたものは、木に括りつけられたバンディエラ。あまりの応援環境に愕然とするも、あれこれ考えている暇と余裕は無く、既存のサポーターに挨拶を済ませ、前半が始まった。

「このまま既存のサポーターに合わせてやるか、オレたちにリードを取らせて貰うか?」
「はたまた場所を変え、独自でやるか?」

岡本はハーフタイムにある女性サポーターの方の熱意溢れる話を聞いた。そして決めた。

「同じ場所で応援をし、リードはやらせて貰う!」

その事を既存のサポーターに告げ、快く受け入れて貰った。もう後には一歩も引けない!その思いで、あっという間に試合は終わった。CURVA ROSAが応援のリードを取った瞬間だった。選手の名前や背番号など覚えきれておらず、正に勢い参戦だったが、試合が終われば誰彼構わず握手をし「おつかれさまでした!」「また来週!」と声をかける。今も続くこのスタイルは福田公園での“CURVA ROSAデビュー戦”から始まっていた。

次の試合は邑久で行われた。岡本達は長船の河川敷サッカー場で自身の草サッカーチームの試合があったが、アップを済ませたあと「引退する」とチームのメンバーに告げ、色々な思いのなか邑久の試合会場へと向かった。

2戦目でCURVA ROSAのメンバーは5人に増えた。しかし、邑久の試合会場にはスタンドや観客席、ゴール裏も無かった。選手と同じ目線、いわゆるタッチライン際での応援となった。その試合で印象に残ったのは、梁(現ユース監督)の打点の高いヘディングと、横断幕を持っているサポーターへの憧れ。声以外に武器の無い虚しさ。そこで急遽作ったのがCURVA ROSAという文字が書かれた…というか、白い布をノリで貼り付けただけの「雨天時使用不可の横断幕」だった。

邑久での試合後も福田公園陸上競技場と同じように皆と握手をし「また来週!」直ぐ横では選手がクールダウンをしている環境。どこかの街の誰かのチームを応援していた頃には無い感覚。まだまだやれるはず!限界地点を決めては前に進めない!

その後、CURVA ROSAは8人にまで増えていた。