2012年3月 のアーカイブ

2012年3月21日 水曜日

CURVA ROSA(3)

初のアウェイ戦。
今と同じように皆で車に乗り込み敵地へと向かう。道中の実にくだらない話と、遥か遠くに見えているJリーグへの憧れ…。

TVを見ればJリーグ、セリエA、リーガエスパニョーラなど、一流の選手が華やかな試合をやっている。だが、それは画面の中の話。俺たちが求めいてるのはスタジアムという「現場」で「トモニタタカウ」という事。

今までとの大きな大きなギャップが、急加速をはじめる…。

高校の敷地内のグランドで試合をした時は、俺たちがバモってる(声出し応援している)前や後ろを人が通り、その度に挨拶をしてくれるのでこちらも挨拶を返す、という事態になった。実に礼儀正しい姿勢でありながら、心の中では(いま必死でバモってますから!)と、もどかしい思いがひしめき合う最強のアウェイ戦だった。

ゴール裏が民家で試合中に洗濯物を干している、なんて事もあった。とにかく、立派なスタジアムでは起こり得ない出来事を正面から受け止める強さをいつの間にか身につけていた(笑)

 

時を同じくして、足りないものだらけのなか、昼は働き、夜になれば薄暗く硬いグランドで練習をし、日曜日になれば岡山の誇りを背負い戦う彼ら(選手)に、自然と恋をしていった。コイツらと一緒にJに行きたい!当時のサポーターは、皆そう思っていたに違いない。

天皇杯県予選では三菱自動車水島FCと対戦した。真夏の昼間の試合だった。一つ上のカテゴリーで戦う三菱水島にはどうしても負けたくなかった!三菱水島のサポーターとは敵対関係とかではなく、今でも良き友であり、良きライバルであるが、この日ばかりは違った。

だが、結果は惨敗だった。
悔しさの中、会場を後にしたのを、今も忘れはしない。

時は流れ、暮れが近付く頃、チームは熊本で行われた地域リーグ決勝大会の予選ラウンドへと駒を進めた。対戦相手はロッソ熊本。今のロアッソ熊本である。大津を埋め尽くす多くの熊本サポーターは3,000人。こちらは10人程度…。サポーターとして声や横断幕、旗など何から何まで劣ってはいたが、気持ちで勝負!先制点は11番・石川哲平。藤井一昌からの低い弾道のクロスを合わせた1点だった!一進一退の攻防が続くも、最後には力負けの結果だったと思う。この熊本での敗戦が、俺たちサポーターに火をつけたに違いない。続くグルージャ盛岡戦。幸先よく先制するも1人退場での苦しい展開…。選手は本当によく戦ったと思うが、1-2での敗戦。そしてこの年が終った。

試合後、ピッチに座り込み、肩を落とす福森慎太郎の姿が印象的だった。

「もう1度、俺たちと一緒に戦おう!」
こうしてCURVA ROSA1年目のシーズンは終った。
だが、この瞬間から2年目に向けた戦いは始まっていた!

岡山に帰ると、翌週から地域決勝大会が桃スタ(現カンスタ)で行われていた。この頃はまだ、桃スタが完全なるホームでは無かった。と言うよりも、中国リーグ1年目では、岡山市内で公式戦をやった記憶が無い。俺たちの桃スタで、どこかの街の誰かのチームが試合をするという事に大きな違和感を感じつつも、自然と桃スタに集まり、「悔しさ」とか「憧れ」とか、様々な感情の中、遠目に試合を観戦していた…。

この時の悔しさを、2年目となる中国リーグへと生かさねばならない。
12月の冷たい風に吹かれながら、帰路についた…。

2012年3月11日 日曜日

3.11

311

2011年3月11日。
東日本を未曾有の大災害が襲いました。

津波により、一瞬にして押し流された人々や家屋。追い討ちをかけるような原発事故。尊い命、生活、故郷。あらゆるものが失われてしまった痛み、苦しみ、悲しみは今なお癒えるはずもなく、到底、私達の想像の及ぶところではありません。

ファジアーノ岡山は、2011シーズン、ホーム開幕戦を迎える直前のことでしたが、Jリーグは全試合が中止。報道映像には、ベガルタ仙台、鹿島アントラーズ、水戸ホーリーホックが使用しているスタジアムの無惨な姿が映し出されていました。

翌日の土曜日、試合が行われる筈だったカンスタでは、急遽カマタマーレ讃岐とのトレーニングマッチが組まれました。

熱狂もパッションもない寂しい空間。そこにはGATE10の中心メンバー達が集まっていました。何かしないと、でも何をしていいかわからない。とりあえずスタジアムに行けば仲間がいるかもしれない。或いは単純にファジアーノの選手達が無事に走っているところを見たかったのかもしれない。試合の為に予定を空けていたのだから、ここに集まることは必然だったのかもしれません。

災害に言葉を失い、試合中止に行き場を失った。そうした皆の表情を見て、リーダーの岡本が即座にこう言いました。

「何か、やろう。」

そして、その場で募金活動の企画が立ち上がりました。実行は翌日の日曜日。サポーターを集めてカンスタのある運動公園で募金活動を行おう、という事になりました。その日のうちに募金箱の調達や公園の運営管理者への連絡などを迅速に行い、当時、活動告知の中核だったmixiのコミュニティを中心に、
各個人のTwitterやブログで参加の呼びかけをしました。結局、公園での募金活動は禁止されていることが判明した為、名目を「応援練習」として集まり、帰りがけに募金をしてもらうというような、とにかく苦肉の策になりました。

日曜日、わずか期間1日という急な呼びかけにも関わらず100名を超えるサポーター有志が集まり、243,366円の義援金が日本赤十字社に届けられました。中には通りすがりの方や、サポーターではないけれどもTwitterを見てわざわざ来てくれたという方もいました。この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。また、手塚前監督が指揮し、数多くの元所属選手が活躍していた福島ユナイテッドの縁で、GATE10のメンバーから福島の地に多くの物資などが届けられた、と聞いています。

あの日から1年。復興の日はまだ果てしなく遠いように感じます。ファジアーノは「100年続くDNA」というスローガンを掲げていますが、復興にはそれ以上の時間がかかってしまうかもしれません。亡くなった方の事を思うと真の復興などない、という意見もあると思います。それでも、私達は前を向いて歩いていかなければなりません。

震災の地とは遠く離れた岡山からではありますが、今後も復興に微力ながら協力させて頂き、同じ日本に住むものとして「共に生きる」という事を強く胸に刻んでいきたいと思います。また、Jリーグのサポーターとして、全国にいる多くの仲間たちとフットボールを通じて日本中を盛り上げる、再び元気にする活動を続けていくことを宣言します。

フットボールの熱狂を、もう一度我らの手に。

最後に、震災によって被害に遭われた方々に、心からお見舞い申し上げます。


ファジサポ義援金、寄付完了のお知らせ
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2012年3月2日 金曜日

リーダーからのメッセージ

あと二つほど目を閉じると、そこには皆が待っていた開幕戦が訪れる事となる。

昨年の最終戦から、この開幕戦までが長かったような…。短かったような…。
様々な思いの中、時は刻まれ、また一つ歴史となる。

開幕戦の相手はカターレ富山。
JFLからJ2へ、一緒に昇格した相手だ。

試合中はライバルであり敵ではあるが、試合外では同期昇格の縁もあり、時には笑い合い、貶し合い、熱い話もし、Jリーグ各クラブの中でもお互いを切磋琢磨し合える、フットボールと地元を愛する素晴らしい仲間である。

思えばJFL最終戦でアウェイ富山で昇格を決めた訳だが、試合後に富山サポーターから「おめでとう!」と言う声が聞こえてきた。

 

不思議な感覚、素直に嬉しい感覚だった。

 

そしてJの舞台では、富山サポーターの提案から「俺たちと共にJリーグを行こう!」と言う共通のチャントも歌っている。

敵でありながら、この温かい空気、緊張感の無い空気はなんだ!

とかく言われがちではあるが、愛するチームや地元は違えど、素晴らしい仲間だという事をご理解頂たい。

開幕当日の天候も気になるが、そんなの吹き飛ばす勢いで皆で戦おう!
俺たちが声を出したり跳びはねたりしたトコで、ボールは1ミリも動きはしない。
だが声を出し跳びはね、選手があと1歩という時には背中を押せると思う。

一人一人の力は小さいかもしれない。

だから皆の力が必要なんだ!

これからまた、旅が始まる。

不安もあれば期待もある。

そこを多くの仲間で乗り越えて行けたらと強く思う。

俺たちは声で勝負だ!
心重ねあい戦おう!

開幕まで、沸々と燃え上がる魂の中、選手を信じ、仲間を信じ、皆でやって行き笑顔で旅を始めよう!

 

岡本透