2012年1月27日

CURVA ROSA(2)

CURVA ROSA 2005

前回の記事でも触れた通り、CURVA ROSAはたった3人のメンバーで結成された。この3人は岡本がやっていた草サッカーチームのメンバーであったが、自主的に河川敷のトイレ掃除、ボランティア活動を行い、スポンサーを集うなど異色な活動をしていた。ファジアーノのサポーター活動を始める前から「岡山の街のサポーターに!」という思いが彼らの原動力になっていた。

2005年、ファジアーノvsグレミオの親善試合を観戦した岡本は仲間2人に声をかけ、CURVA ROSAとしての活動を開始した。中古のドラムを買い、かつて清掃活動をしていた河川敷へ向かい、真っ昼間に人目も気にせず大声でチャントを歌った。それが初参戦となる中国リーグへ向けての第一歩だった。

中国リーグ初参戦は福田公園陸上競技場。情報は事前にネットで調べていたが、そこには「バンディエラの中に集合だ!」とだけ書かれていた。CURVA ROSAの面々は期待と不安を抱え、現場へと足を運んだ。

そこで目にしたものは、木に括りつけられたバンディエラ。あまりの応援環境に愕然とするも、あれこれ考えている暇と余裕は無く、既存のサポーターに挨拶を済ませ、前半が始まった。

「このまま既存のサポーターに合わせてやるか、オレたちにリードを取らせて貰うか?」
「はたまた場所を変え、独自でやるか?」

岡本はハーフタイムにある女性サポーターの方の熱意溢れる話を聞いた。そして決めた。

「同じ場所で応援をし、リードはやらせて貰う!」

その事を既存のサポーターに告げ、快く受け入れて貰った。もう後には一歩も引けない!その思いで、あっという間に試合は終わった。CURVA ROSAが応援のリードを取った瞬間だった。選手の名前や背番号など覚えきれておらず、正に勢い参戦だったが、試合が終われば誰彼構わず握手をし「おつかれさまでした!」「また来週!」と声をかける。今も続くこのスタイルは福田公園での“CURVA ROSAデビュー戦”から始まっていた。

次の試合は邑久で行われた。岡本達は長船の河川敷サッカー場で自身の草サッカーチームの試合があったが、アップを済ませたあと「引退する」とチームのメンバーに告げ、色々な思いのなか邑久の試合会場へと向かった。

2戦目でCURVA ROSAのメンバーは5人に増えた。しかし、邑久の試合会場にはスタンドや観客席、ゴール裏も無かった。選手と同じ目線、いわゆるタッチライン際での応援となった。その試合で印象に残ったのは、梁(現ユース監督)の打点の高いヘディングと、横断幕を持っているサポーターへの憧れ。声以外に武器の無い虚しさ。そこで急遽作ったのがCURVA ROSAという文字が書かれた…というか、白い布をノリで貼り付けただけの「雨天時使用不可の横断幕」だった。

邑久での試合後も福田公園陸上競技場と同じように皆と握手をし「また来週!」直ぐ横では選手がクールダウンをしている環境。どこかの街の誰かのチームを応援していた頃には無い感覚。まだまだやれるはず!限界地点を決めては前に進めない!

その後、CURVA ROSAは8人にまで増えていた。

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